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2025-08-03 MAZDA ALL HOKKAIDO FAN FESTA 2025 IN 十勝スピードウェイ
MAZDA オール北海道 FAN FESTA 2025 in 十勝スピードウェイ 2025年 8月2日(土)~3日(日) 十勝スピードウェイ(フルコース 5.1km) 北海道初のマツダ車ユーザーへの感謝祭! マツダ車の過去から現在、その魅力のすべてを味わう夏の一日!!~クルマ好きには見逃せないイベント!!~ ゲートオープン予定時刻は午前8時。 しかしその4時間以上前、午前4時には最初の来場者のクルマがサブゲート前に居たそうです。 そして、午前8時にゲートがオープンして入場が始まったのですが、その前から十勝スピードウェイの周辺道路は大渋滞で、まったくクルマが動かない有様でした。 特にゲートに直結する旧広尾道など更別市街からの分岐から2キロ以上もクルマの列が続き、中にはゲートに入るまでに2時間近くかかった来場者もいたのです。
この予想以上の大人気を呼んだイベントが「MAZDA オール北海道 ファンフェスタ 2015」です。 2010年以降は全日本クラスのビッグレースが開催されなくなった十勝スピードウェイ、 これほどの大混雑が起きたのは15年ぶりくらいで、その頃から閉鎖されたままだったメインゲートもオープンして入場者への対応を余儀なくされたほど。
夏休みシーズンに入った8月、その最初の日曜ですから家族そろって出掛けるご家庭も多かったはずで、 その皆さんが選んだ行き先が「MAZDA ファンフェスタ」を開催する十勝スピードウェイだったのでしょう。 その“目玉”は何といってもルマン24時間レースに参戦したマツダ767B。
そして初代RX-7をベースとして制作された改造ツーリングマシン。
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ロータリーサウンドを響かせながらサーキットを駆ける本格レーシングマシンを目にするチャンスはめったにない事。 クルマ好きならその767Bの雄姿を見たいと思うのは当然のことで、それがこの予想以上の大人気を呼んだのでしょう。 もちろんその他にマツダ車の魅力を感じられるブースや、 日本を代表するラリードライバーである奴田原文雄選手が講師を務める安全運転アドバイスコース、スーパー耐久参加車両に体験同乗もでき、
パッドクにはキッチンカーや飲食ブースが多数並び、地域産品を購入できるコーナーなど多数用意され、ファミリーで十分楽しめるイベントになっていたのです。
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北海道初上陸のビッグイベントとあって、確かに周辺道路の渋滞、入場運営、駐車場管理など問題はありましたが、 久しぶりに大観客を呼ぶことに成功したわけで、おそらく主催者はその予想以上の成果に「やった!!」と快哉を叫んだに違いありません。 ~ロータリーこそMAZDAの“代名詞”!!~ 日本国内で本格的なモーターレーシング競技が始まったのは1963年、前年にホンダが建設した鈴鹿サーキットで開催された第一回日本グランプリからでしょう。 ただこの時点で東洋工業(現在のマツダ)はあまり積極的ではありませんでした。 なにしろR360クーペという軽自動車くらいしかクルマがなかったのですから。 その後も他メーカー、日産やトヨタ、いすゞ、ダイハツなどがレース専用のプロトタイプマシンを開発し、レースで覇を競っていたにも関わらず、マツダはレース参戦することがありませんでした。 その状況が変化したのは、ロータリーエンジンでした。 西ドイツのヴァンケル社からライセンスを受け、社運を賭けた悪戦苦闘の末にとうとう実用化の目処が立ち、1963年にコスモ・スポーツが発表されます。 これこそ世界初のロータリーエンジン搭載市販車であり、ロータリーエンジンの“生みの親”は西ドイツのNSUでもヴァンケルでもなく、 この日本の東洋工業(マツダ)だと言ってよいでしょう。 わずか1,000cc足らずのタイプ10Aと名付けられた2ローターから120馬力ものハイパワーをもたらすロータリーエンジン、 その高性能をアピールするためにはレース参加が早道。そこでとうとう重い腰を上げてマツダはレース活動を開始します。 ロータリークーペから始まり、あの宿敵スカイラインGT-Rに黒星を付けたサバンナRX-3、そして2シータースポーツの決定版RX-7の登場と、マツダ・ロータリー軍団の快進撃は止まりませんでした。 マツダスピードというワークスと共にその中核を担ったのが、マツダオート東京や静岡マツダというディーラーチーム、 そしてワークスドライバーだったレジェンド片山義美率いるカタヤマ・レーシングなどでした。 彼らはワークスであるマツダスピードより上位成績を挙げる事さえあったのです。 ハイパワーの上に構造が簡単なロータリーエンジン、アマチュアチームでも扱うことができ、費用もレシプロチューニングエンジンの半分程度だったのです。 そのためスカイラインGT-Rの独壇場だったスーパーツーリングレースにロータリーエンジン車が多数参入し、 当時は国内最高峰レースカテゴリーだった富士GCにも優勝を狙えるエンジンとしてロータリー搭載マシンが増えていきました。 国内レースシーンに欠かせない存在となったロータリーエンジンはまさにマツダの“代名詞”と言っていいほどになったのでした。 ~世界最高峰レースのトップ獲得を目指して!!~ 国内ツーリングカーレースでは充分な成績を残し続けていたロータリーエンジン、マツダはその存在をさらに確固たるものにすべく、参戦カテゴリーを世界選手権レベルへと変化させます。 それまでもRX-7ベースの改造車が活躍していたのですが、もっと本格的なスポーツ・プロトタイプの制作に取り掛かるのです。 まず基本構造のデザインをイギリスのナイジェル・ストラウドに依頼します。 彼はポルシェ962のオリジナル改良モデルにも関わったことがあるデザイナーで、マツダ初のスポーツプロトタイプカーもポルシェ962をベースとしていたようです。 ただし、レシプロの場合にはエンジンに荷重を負担させることができ、リアの設計自由度が上がるのですが、 複数のローターハウジングを並べたロータリーエンジンの構造上、その手法は使えず、リアは普通のアルミモノコックのままでした。 またナイジェルの担当は基本設計までで、実際のマシン組み立ては広島のマツダワークスで行われました。 これもまたマツダにとっては基本からの勉強だったようです。 その悪戦苦闘の末とうとう完成し、1986年にデビューしたのが3ローター13Gエンジンを搭載するマツダ初の本格プロトタイプレーシングカーである757でした。 しかしこのマツダ初のマシン、なかなか好成績を挙げられませんでした。 ライバルはマーチをベースに開発した日産83G、トヨタはトムス83C、さらに無類の強さを発揮するポルシェ962勢でした。 それらレシプロターボカーは600馬力以上を発生していましたが、マツダの3ローターは450馬力程度。これでは勝負にならないもの当然だったのです。 そこでマツダはさらにもう一基のローターハウジングを加えて4ローターを造り出します。 それをエンジンベイに入れるためホイールベースを伸ばしたタイプが新造され、それが767なのです。 767は3台作られたそうですが、一台はクラッシュ、残る2台はマツダスピードでルマンウイナーの787B型に改修され展示用にされているそうです。
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実際にレース参戦用になるのは1989年製造の767Bで、3台作られてその3台すべてがこの年のルマン24時間レースに出走し、全車完走を果たして、その中のゼッケン202番が7位入賞となったのです。 その後、そのマシンは静岡マツダに売却され国内レースに参戦。 のちにメカニックだった方がレストアして展示用としているようで、今回十勝に姿を現したのはそのマシンだと思われます。 ただ、なにしろ35年以上も前のマシンです、 一回目のデモランではエンジンがかからず、押し掛けしてもダメ、オフィシャルカーで引っ張ってもダメ。 電装品のチェックやプラグ交換などしてようやくエンジンが始動した時にはデモランの時間は終了していました。 それでもスケジュールを変更してコースイン、2周ほど走ってくれました。 そのあと、午後からのデモランではスタートに成功してRX-7やRX-3と共に走行、 メインストレートではあの4ローターらしい澄み切った高周波音のエキゾーストノートを聞かせてくれました。 この瞬間に立ち会えただけで、この日十勝へ来た甲斐があったというものでしょう。最高!ロータリー!!
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~アマチュア対象のワンメイクレースも充実!!~
トヨタの多大な尽力によって始まった国内でのナンバー付車両によるワンメイクレース、 もちろんマツダもその流れに乗って同様のレースを開催しています。 それがロードスター・パーティレースⅢで、全国8ヶ所のサーキットを転戦するJAFツーリングカー選手権にもなっているのです。 使用車両は現行型ND5ロードスターのモータースポーツベース仕様であるNR-Aのワンメイクで、タイヤもBSがタイで生産しているカジュアルスポーツタイプのポテンザRE004が指定タイヤ。 さらにコースが十勝ではほとんど使われないグランプリコースと呼ばれる5.1kmのフルコースを使うわけで、 それを年に一回だけ使うのはこのマツダ系のレースだけなのです。 なので十勝のシリーズ戦の有力ドライバーからのアドバイスなど受けられないわけで、実際に自分で練習走行からコースの感触を得るしかないのが難しいところでしょう。 独自のレギュレーションとしてレース中に車両が接触した場合は、その理由の如何を問わずノーポイントとなるそうです。 「競り合いを心から楽しむ大人たちのピュアスポ-ツ」がテーマだそうで、とにかくクラッシュや車両同士の接触を徹底的に嫌うレギュレーションであり、 そのためにスタート直後の混戦をなくすため、スプリントレースにもかかわらずローリングスタートが採用されているのです。 つまり他のレースとはちょっと違う意識を持ってレースに臨む必要があり、そこが難しいところなのでしょう。 ともあれレースは大きなトラブルもなく進行、ローリングなのでイン側を選んだポールの#157橋本隼選手を先頭に第一コーナーをクリアしてゆきます。
その後、3番手から出た#117石谷豪志選手がトップに進出、#35佐々木光選手、 #105三宅陽大選手も加わり接近戦となりますが、各選手とも厳しく規制されている接触はなく9周のレースは終了。
結局#157橋本隼選手のポールto ウイン。「スタートなんかは『やらかした!』と失敗で、危ないところもありましたがなんとか勝てました。 コースの前半と後半で印象が全く違っていて、練習走行からタイムが出なかったんですよ。でも勝てました! 初勝利ですから最高に嬉しいです!」とシリーズもポイントリーダーに浮上する結果となりました。
~エコノミーランも面白いかも・・・!~
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もう一件、今回の「MAZDA FAN FESTA」には競技種目があります。 それが通称「マツ耐」と呼ばれる「MAZDA FAN ENDURANCE」です。 レースではなく、サーキット走行会に準ずる燃費競走エコノミーランですから、レース用装備品は不要だし、ライセンスも不要、ヘルメットとグローブだけあればトレーナーにGパンでも出走OKなのです。 燃費競走ですから、それなりのアベレージスピードは必要ですがアクセル全開の真剣アタックはいりません。 満タンの燃料で2時間半を走り切ること、それを念頭にライバル達のスピードに合わせてラップを重ねることが勝つための秘訣でしょう。 マツダ車のワンメイクですが、その中でも車種選びも重要です。 それなりのスポーツ性もあって燃費が良く、燃料タンクの容量が大きいクルマ、ロータリーエンジンのRX-7など論外で、マツダにはフルハイブリッド車がありませんから、軽量のディーゼル車などもいいかもしれません。 公認競技じゃありませんが、一応レース形式の雰囲気を味わってもらうため予選があります。 この成績はまったく決勝には影響しないわけですが、レース経験のあるドライバーがメンバーに加わっている#23がトップ。順にみてゆくと新旧のロードスターがずらりと並んでいます。 現行型のNDよりも一世代前の2,000ccエンジンを搭載するNC系のクルマが好タイムをマークしています。 とはいえこの予選はレースの雰囲気を味わうためで、最終リザルトには関係しないのです。 問題は燃費とタンク容量で、現行型のNDロードスターはタンク容量が40リッター。 でも同じNDのハードトップは45リッターで、先代のNCは50リッターも入るのです。 このあたりの選択は重要です。また、ロードスターと同じエンジンを搭載しているデミオは15C型は44リッターなのです。 さらに燃費です。おそらく昨年の例から優勝車は55周くらい回るはず。 そうならトータル280kmくらい。満タン40リッターなら余裕を見て38リッターで走り切る必要があるわけで、そうなるとリッター7,3kmくらい、リッター6kmでは走り切れないわけです。 それが満タン50リッターなら相当に余裕ができる。だから車種選びは重要なのです。 ポールからスタートした#23は独走状態でしたが、やはりガス欠でストップ。
トップでチェッカーを受けたのは#19でしたが、車両規則違反で失格。 アクセル全開で走る必要はないはずなのにトラックリミット違反でペナルティを受けるチームが出たり、一人でしっかりペースを守ったデミオの#4伊藤竜二選手が総合2位に入ったり、
まったく面白さ満載の燃費競走、これはこれで相当に面白いのかもしれません。
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~クルマ好きには見逃せないイベント!!~
ゲートオープン予定時刻は午前8時。
しかしその4時間以上前、午前4時には最初の来場者のクルマがサブゲート前に居たそうです。
そして、午前8時にゲートがオープンして入場が始まったのですが、その前から十勝スピードウェイの周辺道路は大渋滞で、まったくクルマが動かない有様でした。
特にゲートに直結する旧広尾道など更別市街からの分岐から2キロ以上もクルマの列が続き、中にはゲートに入るまでに2時間近くかかった来場者もいたのです。
この予想以上の大人気を呼んだイベントが「MAZDA オール北海道 ファンフェスタ 2015」です。
2010年以降は全日本クラスのビッグレースが開催されなくなった十勝スピードウェイ、
これほどの大混雑が起きたのは15年ぶりくらいで、その頃から閉鎖されたままだったメインゲートもオープンして入場者への対応を余儀なくされたほど。
夏休みシーズンに入った8月、その最初の日曜ですから家族そろって出掛けるご家庭も多かったはずで、
その皆さんが選んだ行き先が「MAZDA ファンフェスタ」を開催する十勝スピードウェイだったのでしょう。
その“目玉”は何といってもルマン24時間レースに参戦したマツダ767B。
そして初代RX-7をベースとして制作された改造ツーリングマシン。
パッドクにはキッチンカーや飲食ブースが多数並び、地域産品を購入できるコーナーなど多数用意され、ファミリーで十分楽しめるイベントになっていたのです。
北海道初上陸のビッグイベントとあって、確かに周辺道路の渋滞、入場運営、駐車場管理など問題はありましたが、
久しぶりに大観客を呼ぶことに成功したわけで、おそらく主催者はその予想以上の成果に「やった!!」と快哉を叫んだに違いありません。
~ロータリーこそMAZDAの“代名詞”!!~
日本国内で本格的なモーターレーシング競技が始まったのは1963年、前年にホンダが建設した鈴鹿サーキットで開催された第一回日本グランプリからでしょう。
ただこの時点で東洋工業(現在のマツダ)はあまり積極的ではありませんでした。
なにしろR360クーペという軽自動車くらいしかクルマがなかったのですから。
その後も他メーカー、日産やトヨタ、いすゞ、ダイハツなどがレース専用のプロトタイプマシンを開発し、レースで覇を競っていたにも関わらず、マツダはレース参戦することがありませんでした。
その状況が変化したのは、ロータリーエンジンでした。
西ドイツのヴァンケル社からライセンスを受け、社運を賭けた悪戦苦闘の末にとうとう実用化の目処が立ち、1963年にコスモ・スポーツが発表されます。
これこそ世界初のロータリーエンジン搭載市販車であり、ロータリーエンジンの“生みの親”は西ドイツのNSUでもヴァンケルでもなく、
この日本の東洋工業(マツダ)だと言ってよいでしょう。
わずか1,000cc足らずのタイプ10Aと名付けられた2ローターから120馬力ものハイパワーをもたらすロータリーエンジン、
その高性能をアピールするためにはレース参加が早道。そこでとうとう重い腰を上げてマツダはレース活動を開始します。
ロータリークーペから始まり、あの宿敵スカイラインGT-Rに黒星を付けたサバンナRX-3、そして2シータースポーツの決定版RX-7の登場と、マツダ・ロータリー軍団の快進撃は止まりませんでした。
マツダスピードというワークスと共にその中核を担ったのが、マツダオート東京や静岡マツダというディーラーチーム、
そしてワークスドライバーだったレジェンド片山義美率いるカタヤマ・レーシングなどでした。
彼らはワークスであるマツダスピードより上位成績を挙げる事さえあったのです。
ハイパワーの上に構造が簡単なロータリーエンジン、アマチュアチームでも扱うことができ、費用もレシプロチューニングエンジンの半分程度だったのです。
そのためスカイラインGT-Rの独壇場だったスーパーツーリングレースにロータリーエンジン車が多数参入し、
当時は国内最高峰レースカテゴリーだった富士GCにも優勝を狙えるエンジンとしてロータリー搭載マシンが増えていきました。
国内レースシーンに欠かせない存在となったロータリーエンジンはまさにマツダの“代名詞”と言っていいほどになったのでした。
~世界最高峰レースのトップ獲得を目指して!!~
国内ツーリングカーレースでは充分な成績を残し続けていたロータリーエンジン、マツダはその存在をさらに確固たるものにすべく、参戦カテゴリーを世界選手権レベルへと変化させます。
それまでもRX-7ベースの改造車が活躍していたのですが、もっと本格的なスポーツ・プロトタイプの制作に取り掛かるのです。
まず基本構造のデザインをイギリスのナイジェル・ストラウドに依頼します。
彼はポルシェ962のオリジナル改良モデルにも関わったことがあるデザイナーで、マツダ初のスポーツプロトタイプカーもポルシェ962をベースとしていたようです。
ただし、レシプロの場合にはエンジンに荷重を負担させることができ、リアの設計自由度が上がるのですが、
複数のローターハウジングを並べたロータリーエンジンの構造上、その手法は使えず、リアは普通のアルミモノコックのままでした。
またナイジェルの担当は基本設計までで、実際のマシン組み立ては広島のマツダワークスで行われました。
これもまたマツダにとっては基本からの勉強だったようです。
その悪戦苦闘の末とうとう完成し、1986年にデビューしたのが3ローター13Gエンジンを搭載するマツダ初の本格プロトタイプレーシングカーである757でした。
しかしこのマツダ初のマシン、なかなか好成績を挙げられませんでした。
ライバルはマーチをベースに開発した日産83G、トヨタはトムス83C、さらに無類の強さを発揮するポルシェ962勢でした。
それらレシプロターボカーは600馬力以上を発生していましたが、マツダの3ローターは450馬力程度。これでは勝負にならないもの当然だったのです。
そこでマツダはさらにもう一基のローターハウジングを加えて4ローターを造り出します。
それをエンジンベイに入れるためホイールベースを伸ばしたタイプが新造され、それが767なのです。
767は3台作られたそうですが、一台はクラッシュ、残る2台はマツダスピードでルマンウイナーの787B型に改修され展示用にされているそうです。
実際にレース参戦用になるのは1989年製造の767Bで、3台作られてその3台すべてがこの年のルマン24時間レースに出走し、全車完走を果たして、その中のゼッケン202番が7位入賞となったのです。
その後、そのマシンは静岡マツダに売却され国内レースに参戦。
のちにメカニックだった方がレストアして展示用としているようで、今回十勝に姿を現したのはそのマシンだと思われます。
ただ、なにしろ35年以上も前のマシンです、
一回目のデモランではエンジンがかからず、押し掛けしてもダメ、オフィシャルカーで引っ張ってもダメ。
電装品のチェックやプラグ交換などしてようやくエンジンが始動した時にはデモランの時間は終了していました。
それでもスケジュールを変更してコースイン、2周ほど走ってくれました。
そのあと、午後からのデモランではスタートに成功してRX-7やRX-3と共に走行、
メインストレートではあの4ローターらしい澄み切った高周波音のエキゾーストノートを聞かせてくれました。
この瞬間に立ち会えただけで、この日十勝へ来た甲斐があったというものでしょう。最高!ロータリー!!
トヨタの多大な尽力によって始まった国内でのナンバー付車両によるワンメイクレース、
もちろんマツダもその流れに乗って同様のレースを開催しています。
それがロードスター・パーティレースⅢで、全国8ヶ所のサーキットを転戦するJAFツーリングカー選手権にもなっているのです。
使用車両は現行型ND5ロードスターのモータースポーツベース仕様であるNR-Aのワンメイクで、タイヤもBSがタイで生産しているカジュアルスポーツタイプのポテンザRE004が指定タイヤ。
さらにコースが十勝ではほとんど使われないグランプリコースと呼ばれる5.1kmのフルコースを使うわけで、
それを年に一回だけ使うのはこのマツダ系のレースだけなのです。
なので十勝のシリーズ戦の有力ドライバーからのアドバイスなど受けられないわけで、実際に自分で練習走行からコースの感触を得るしかないのが難しいところでしょう。
独自のレギュレーションとしてレース中に車両が接触した場合は、その理由の如何を問わずノーポイントとなるそうです。
「競り合いを心から楽しむ大人たちのピュアスポ-ツ」がテーマだそうで、とにかくクラッシュや車両同士の接触を徹底的に嫌うレギュレーションであり、
そのためにスタート直後の混戦をなくすため、スプリントレースにもかかわらずローリングスタートが採用されているのです。
つまり他のレースとはちょっと違う意識を持ってレースに臨む必要があり、そこが難しいところなのでしょう。
ともあれレースは大きなトラブルもなく進行、ローリングなのでイン側を選んだポールの#157橋本隼選手を先頭に第一コーナーをクリアしてゆきます。
その後、3番手から出た#117石谷豪志選手がトップに進出、#35佐々木光選手、
#105三宅陽大選手も加わり接近戦となりますが、各選手とも厳しく規制されている接触はなく9周のレースは終了。
結局#157橋本隼選手のポールto ウイン。「スタートなんかは『やらかした!』と失敗で、危ないところもありましたがなんとか勝てました。
コースの前半と後半で印象が全く違っていて、練習走行からタイムが出なかったんですよ。でも勝てました! 初勝利ですから最高に嬉しいです!」とシリーズもポイントリーダーに浮上する結果となりました。
~エコノミーランも面白いかも・・・!~
もう一件、今回の「MAZDA FAN FESTA」には競技種目があります。
それが通称「マツ耐」と呼ばれる「MAZDA FAN ENDURANCE」です。
レースではなく、サーキット走行会に準ずる燃費競走エコノミーランですから、レース用装備品は不要だし、ライセンスも不要、ヘルメットとグローブだけあればトレーナーにGパンでも出走OKなのです。
燃費競走ですから、それなりのアベレージスピードは必要ですがアクセル全開の真剣アタックはいりません。
満タンの燃料で2時間半を走り切ること、それを念頭にライバル達のスピードに合わせてラップを重ねることが勝つための秘訣でしょう。
マツダ車のワンメイクですが、その中でも車種選びも重要です。
それなりのスポーツ性もあって燃費が良く、燃料タンクの容量が大きいクルマ、ロータリーエンジンのRX-7など論外で、マツダにはフルハイブリッド車がありませんから、軽量のディーゼル車などもいいかもしれません。
公認競技じゃありませんが、一応レース形式の雰囲気を味わってもらうため予選があります。
この成績はまったく決勝には影響しないわけですが、レース経験のあるドライバーがメンバーに加わっている#23がトップ。順にみてゆくと新旧のロードスターがずらりと並んでいます。
現行型のNDよりも一世代前の2,000ccエンジンを搭載するNC系のクルマが好タイムをマークしています。
とはいえこの予選はレースの雰囲気を味わうためで、最終リザルトには関係しないのです。
問題は燃費とタンク容量で、現行型のNDロードスターはタンク容量が40リッター。
でも同じNDのハードトップは45リッターで、先代のNCは50リッターも入るのです。
このあたりの選択は重要です。また、ロードスターと同じエンジンを搭載しているデミオは15C型は44リッターなのです。
さらに燃費です。おそらく昨年の例から優勝車は55周くらい回るはず。
そうならトータル280kmくらい。満タン40リッターなら余裕を見て38リッターで走り切る必要があるわけで、そうなるとリッター7,3kmくらい、リッター6kmでは走り切れないわけです。
それが満タン50リッターなら相当に余裕ができる。だから車種選びは重要なのです。
ポールからスタートした#23は独走状態でしたが、やはりガス欠でストップ。
トップでチェッカーを受けたのは#19でしたが、車両規則違反で失格。
アクセル全開で走る必要はないはずなのにトラックリミット違反でペナルティを受けるチームが出たり、一人でしっかりペースを守ったデミオの#4伊藤竜二選手が総合2位に入ったり、
まったく面白さ満載の燃費競走、これはこれで相当に面白いのかもしれません。